鬼才 押見修造の個性的過ぎる作品

柿口依という少女

少女は何を望んでいたのか

ぼくは麻理のなかで、功と麻里という主役に近しい場所に位置しているのが柿口依という少女だ。彼女は当初から功に対して険悪感をむき出しにして接触していたものの、それでも彼が麻里として過ごすために女としての振る舞いを教えこんでいきます。その後、功が元の身体へ戻るために奔走するなど、普通なら考えられないくらいの深さで彼女に接していく。その姿は巻数を追うごとに深いものへとなっていき、やがて彼女の中で一つの結論に至る。

『もしかしたら麻里は身体の中にいるかもしれない』

この事実には麻里と自分しか知らない秘密を功が知っているという点から抱いていたため、それまで抑えていた感情も顕在化していく。恐らく見ている人全てが分かっていると思うが、柿口依は吉崎麻理という少女に『恋慕の情』を抱いているのだと認識するはずだ。

言わなくても分かるかも知れないが、それが後に起こるある出来事からより顕著になっていきます。

愛の深さ

ある出来事から肉体の功と麻里がトイレで彼の自慰行為を見る・助力するといったことを知った依はむき出しの殺意を肉体の功へと向ける。それは彼の性器を潰すとまで罵るほどに鬼気迫った表情で、彼が麻里という存在を汚そうとすることを何より毛嫌いしている証拠だ。人格が功でも、それでも自分が彼女の特別であり、自分の声が届いているかもしれないという希望もあって、後半からはヒロイン然とした可愛らしい表情を浮かべていきます。

こんな時間が続けばいいのに、そう願ってもいましたが、彼女もまた麻里が抱えていた問題の闇を見ることでどうしてこんな事になったのか、それを思い知らされるのでした。

直接対決まで

今作に関してはまだ完結していないので詳しいネタバレはしませんが、訳あって麻里の状態がこんなふうになってしまったことに、母親がなにか知っていると感づいた依は彼女の母と一線交えます。そこには女の、母親としての全てを踏みにじられてストレスを溜め込んだエゴが入り混じっていた。愛憎と言えない、自分の思い通りにならない事をただ嫌う子どものような母親の振る舞いに、依は呆然とする。

これでは彼女がこうなってもしょうがないと思ったが、それと同時に小森功の肉体が段々と真人間へ戻ろうとしている姿を見て、更に絶句する。ここまで来て、依は他の誰かに成り代わらないといけないほど追い詰められていたのに、その対象だった人格が変貌しては、彼女はどうなってしまうのかと恐れた。そのことを突き付けても小森はもう相手にしないと告げて、思わず逆上してしまう依。小森功を否定し、麻里の中にいるとされる功の人格こそ本物だと肯定した。それが意味するところは、彼女が生み出したものなら受け入れるという表れでもある。

表層的に浮かんできた麻里

最新刊ではそれまで消息が掴めなかった麻里が一瞬だけ出てきます。依は言葉を無くして見つめますが、その言葉が不吉な予兆を意味していた。さようならと告げる言葉、それが何を意味しているかは判明していないものの、現実の重苦に耐え切れずに吉崎麻理の肉体から麻里本来の人格そのものが消失しようとしているのかもしれなくなってしまう。完璧な美少女として憧れられ、友人も多かったとされる『吉崎麻理』が消える、それは依が最も受け入れたくない最悪の展開と言えるでしょう。

少女は何処へ向かうか

麻里の人格が消えそうになっている最中で、彼女がどうして功という青年をモデルにしたのか、その動機となったものが明らかになる。それは功が書いたとされる日記で、麻里にとっても重要な意味を持っているとされている。もしこのまま行けば麻里は消え、彼女の肉体には彼女が創りだしたとされている功という擬似人格に乗っ取られてしまう。

その頃肉体の功の元へ、田舎に住んでいた母が息子の状態を知ったことで実家へ連れ戻そうとしている事態が進行していた。社会復帰するために動き出した功にとっては予想外の展開ですが、それは依にしても、麻里の中の功にとっても予期せぬ展開と言える。

依に遺言とばかりに遺した言葉が、彼女のために向けられたものではなく、あくまで功に対して放った言葉をいう麻里も気になるところ。彼女にとって功がどういう存在だったのかも気になるところですが、それ以上に依がこの先どのようにして問題に立ち向かっていくのかも注目ポイントとなります。

ただの入れ替わりがテーマになっているとされた『ぼくは麻理のなか』ですが、その物語の深さは実際に見ていないと伝わらない。惡の華・スイートプールサイドよりはまだ見やすい作品ですので、押見修造先生の作品を知りたい人は、今作から入ってみると良いかもしれません。まだそこまでマイナーな内容ではないから、入りやすいはずだ。